「蓮くん、マフィン焼いたんだけど食べる〜?」
バーンという音とともに自室のドアが開けられる
「っ///!香穂子!着替え中だ!ノックぐらいしてくれないか?」
「んもう。良いじゃない別に。昔はお風呂だって一緒に入ってたんだし。」
「小学生の時の話だろ?まったく…変わらないな君は。」
俺たちが出会ってから10年が過ぎた
俺も香穂子も高校2年生。
学部は違うが、今は同じ学校に通っている。
香穂子とは家をよく行き来するようになっていた
もう家族とも言える仲だ。お互いの家に泊まり合うこともよくある
香穂子は今でも俺を“弟”として見ている
それは…心のどこかで寂しい気もするのだけれど…
「あ〜っ!蓮くん、また朝まで練習してたんでしょ?練習はほどほどにって言ったじゃない!!」
めっ!といったように香穂子が人差し指で俺を叱る
「すまない…だけれど昨日はどうしてもこのフレーズが上手くできなかったものだから…」
「もー!蓮くんは自分に厳しすぎ!そんなんじゃハゲちゃうよ?
でもそんなことだろうと思って甘いもの作ってきて良かった。あ、甘さ控えめにしといたからね♪」
「あぁ…ありがとう」
ローテーブルに座って二人で食べる
男の俺の部屋に不釣り合いな、このハート型のソファーは香穂子が選んだものだ
もっとシンプルなものが良かったのだが…何でも俺の部屋が殺風景だからだそうで…
他にもぬいぐるみやら女性誌やら…まるで香穂子の部屋になっている
だけど俺はそれで良い…香穂子のぬくもりがある部屋で過ごしていたいから…
「蓮くん今は何弾いてるの?…うわ……重音ばっかりだね。難しそう」
「まだこの部分が上手く弾けない…だからこそ、もっと練習しなくてはいけないんだ。」
俺はためらいがちに香穂子に“あの話題”を切り出す
「…………香穂子、君は…もう弾かないのか?」
さっきまでの香穂子の明るい笑顔が曇る
「私は弾かないよ…。もう…コンクールも出ない…。」
「その…わかってるんだ…君の気持ちは…けれど…」
次を言いかけようとした瞬間に香穂子が口を挟む
「美沙ママにも迷惑かけたの…蓮くんだって知ってるでしょ?
もうコンクールはイヤ。人前では弾かない!…だけど、蓮くんや美沙ママの前では弾くから…ねっ?」
香穂子の瞳が“もうこの話題はやめてくれ”と言っているのがわかる
「……あぁ…嫌な思い出を蒸し返して…すまなかった」
「そんな…。私こそごめんね。………乙女の祈りで良い?」
気まずい雰囲気を振り払うように香穂子が鍵盤の前に座る
香穂子が奏でるメロディーは優しくて…甘くて…父や母の音楽に似ている…
それでいて包み込むような暖かさがあるんだ…
俺が奏でられない音楽を奏でる力を持ってる
お互いの教室の帰りによく二人で合奏した
母さんも香穂子の才能を見出して、たまにレッスンしていた
いつか手をつないで歩いた帰り道
香穂子は俺に向かってこう言った
「大人になったら蓮くんと私の二人のコンサート、開こうね」
けれど彼女は中学二年生の時に出たコンクールからピアノを弾かなくなった
いや
弾けなくなってしまった
医者の話では精神的ショックのせいだと言っていた
ピアノを弾こうとすると手が震えてしまうようになったんだ
香穂子の家にピアノがなくなった
ピアノ教室も辞めてしまった
けれど、俺の家では自然と弾ける
勿体ないと思う…香穂子の音はもっと世間に広がっても良いはずなのに…
だがそれ以上に、香穂子が未だに苦しめられているトラウマから抜け出してやりたかった…
昔、俺の手を守ってくれた香穂子のために、今度は俺が香穂子の音を守ってやりたい…
演奏が終わると香穂子はお茶の持ってくるねとドアを開ける
「……香穂子、今でも俺が素晴らしいと思うピアニストは君だけだ…」
香穂子は振り返ると
「コラ!美沙ママもでしょ!」
「あ…それはまた別だろう……」
「ふふっ。でも………ありがとう蓮くん」
香穂子が下へと降りていく
彼女が振り返って見せた笑顔に胸の鼓動が速くなる…
「俺のこれも変わってないな」
俺は自嘲的に笑った
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<あとがき>
はい、いきなりタイムスリップしましたよ…(だって子ども時代甘く書けなかったんだもん;)
香穂ちゃんの事件はのちのち明らかになります。
それにしても、れんれんのこの初々しさは好きだ!!ってゆーかあなたが好きだ!(暴走)