マイ・フェア・レディ
「ただいま〜」
「お帰り、香穂子」
「おじいちゃん♪わ〜お帰りなさい」
一週間ぶりの祖父に抱きついた
着物デザイナーの松平天龍
母方の祖父で私の良き理解者だ
実年齢よりも若く見えるし、
少し年取ったお父さんという感じだ
強面で職人気質だけど、私には甘いと思う
私はふと祖父が手に持っているものに注目する
その視線に気づいた祖父が
「あぁ…これはヴァイオリンだよ
昔、少しやっていたことがあるんだ
香穂子も弾いてみるか?」
「うん」
そうして私はすっかりヴァイオリンの虜になってしまった
祖父の奏でるヴァイオリンの音色には程遠いけど
これが私がヴァイオリンを弾くキッカケ
梓馬に報告を終えて戻ってくると
私のアトリエに楽譜やらピアノやらが
ズラっと用意されていた
しかも防音設備もバッチリらしい…
こんな短時間に…大工さんごめんなさい
けれど、お陰で思う存分練習ができる♪
「え?自室に防音設備もピアノも揃った?」
俺は香穂子の発言に若干戸惑ったが
やっぱりこいつも
一応は名の知れた家の人間なのだろうと思った
それに丁度良い
ピアノを使おうにも柚木の家の中まで入るのはさすがに危険を伴うし
「じゃあ、今からお前の家に行くぞ」
「えぇっ?」
突然の申し出に戸惑っていた香穂子に
無理やり案内させた
香穂子の家は俺の家から、そう遠くはなかった
大通りの裏道に入るとひっそりとした
閑静な佇まいでとても風情を感じる
「こちらです」
香穂子が鍵を開けると
玄関のすぐ上は階段になっていた
上り終えるとそこには
沢山の画集や四季の写真集が入っている本棚
掘りごたつ式のテーブルの上には
ペンや描きかけの何かのデザイン
奥にはアップライトピアノと
楽譜が入れられた棚がある
部屋に広がる香が上品で好ましかった
一通り練習を終えると
「何か飲み物を持ってくるね」
そう言うと香穂子は別の扉から下に降りて行った
どうやらこの部屋で本宅と繋がっているらしい
それにしても…こいつは何者なんだ??
描きかけのデザインは撫子を
モチーフにしてあるみたいだ
この部屋の隣は…?
引き戸を開けると
左側に白い勉強机
中央にはピンクのラグが引かれ
正面には白のクローゼットがあった
右側にはベージュの掛け布団が引かれた同じく白のベッド
そして出窓には青の花が飾られている
「へぇ…」
あいつにも美的センスなんてあったんだなと
思わず感心した
「ちょっと!
梓馬、勝手に見ないでよ!///」
紅茶を持ってきた香穂子は怒ったように
引き戸をピシャリと閉めた
「ドアはそんな風にしめないだろ?」
俺からの返しに、拗ねながら
描きかけのデザイン画をしまって
テーブルの上にそっと紅茶を置く
「お前はさ、ここで一体何してるわけ?」
「言ってなかったっけ?
うちね、着物屋さんなんだよ
私はおじいちゃんの手伝いで
たまにデザインさせてもらえたりするんだ
まだ、採用されたことないんだけどね」
そう言うとはにかんだ様に笑った
何だろう…
前から思っていたけど香穂子の笑顔が
心に波紋を起こしている気がする
「そういえば、梓馬の家は?」
「家…?
ただの退屈な所かな…」
何だかここは落ち着く
俺は香穂子の膝の上に頭を乗せた
「色んなものに縛られてる…
全く退屈だよ…」
お祖母さまのご意向に沿って動く
そう…俺は駒のような存在
「ふーん…寂しいんだ?」
俺は香穂子の言葉に驚いて頭をあげた
「は?」
「だから、寂しいんでしょ?」
香穂子は俺が聞こえなかったと思ったらしい
そしてこう続けた
「最初に会った時から思ってた
そう…『俺を知れ!』って感じ?」
俺の心の中がザワザワと波紋を起こす
「うるさいよ…お前」
次の瞬間、俺は香穂子の唇を自分のそれで塞いでいた
初めて触れる香穂子の唇はとても柔らかかった
何であんなことしたんだ…
自室で独りぼんやり考える
わからない…
ただ…
あいつがとても生意気だったから
そうしたということしか
今の俺にはわからなかった
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