奪い去りたい









段々と校舎に夕暮れが近づく…

私は柚木先輩と共に寒空の下、屋上で練習をしていた。

「そろそろ一日が終わるな…」

先輩がフルートから口を離すと、ふとそう漏らした


茜色の空を見つめながらそんな言葉を放つ先輩の横顔に私の心臓が軋む気がする

「先輩っもう少し練習付き合っていただけませんか?」

私はたまらずにそう話しかける

「別に…いいけど…」

「違う場所で」

「違う場所?」

先輩がそう聞き返すと不思議そうに片眉をあげた






自分でも何を言い出すのかと思う

だけど、学校にいて、そのまま先輩が車で家へと直行してしまうのが嫌だった

先輩とどこかへ行きたかった






私は先輩を臨海公園へと連れてきた

夕方に、しかも秋になったこの場所に流れる風は少し肌寒くて人影も少ない

この場所はアンサンブルの練習でよく利用していた

先輩はいつもどこでも良いよって言うから、私が好んでここを指定する


潮風に流れる先輩の髪

さざなみと共に流れる音色

輝く金色のフルートを奏でる伏し目がちな先輩の顔


そんな姿を見るのが好きだった



この人に惹かれている


いつからだろう?私はそう自覚していた


素直じゃないし、からかわれてばかりだけれど、先輩なしでの生活が考えられないようになった






――いい加減、気づいた方が良いんだ…


何でそんな瞳をしたんだろう?

コンクール期間中の出来事が今、思い出される



その時は何も気にならなかった

――先輩だってまだまだこれからじゃないですか?

気軽にそう答えた記憶がある


――ありがとう…

――香穂子



それを思い出すとまた顔が熱くなる

今のこの気持ちは私の一方的な思いだとわかっているけれど



先輩は長い髪を優雅に耳にかけるとフルートを奏でる


瞳を閉じて奏でられるその音色に…奏でるあなたに…夢中になってしまう


奏でられた曲は『アダージオ』だった



暗く…沈んでいる音色…


優雅で華やかな表の顔の先輩からは想像できないような哀しい音色

どうしてだろう?どうして先輩は…


「先輩…どうして…?」


気が付くと、先輩の腕を握って演奏を止めていた


「なにが?」

先輩が私を見つめる


「どうして、そんな風に弾くんですか?どうして…まだ」

段々と手に力が入る


――まだ…何を諦めているのですか…?



「なんだよ?今日のお前、少し変なんじゃないか?」


腕を掴んでいる私の手の上に先輩の手が重ねられる


「………なんで泣くんだよ」


気が付くと私の瞳から涙が溢れていた


困ったような顔をしながら先輩がそれを拭う




「まだ…“気づいた方が良いですか?”自分の好きなようにはできないですか?」

「なんだよ…急に…」


秋という季節が私を感傷的な気分にさせているのだろうか…

止まらなかった

先輩の“諦め”に対する自分の中の疑問

先輩の“諦め”に対する自分の中の憤り


疑問と憤りが交差して、私の中でもどかしくなっていく

先輩にぶつけて良いことか悪いことかの判断もつかず、私は聞いてしまう

口を開けばどうしようもなくて、ただただ子どものように言ってしまう

秋という季節が私を感傷的な気分にさせているのだろうか…






高校を卒業したら音楽は辞めると先輩は言っていた


――音楽は高校までと決まっていたから


なんで?

どうしてそんな風に自分を殺して全てを諦めるの?

先輩の代わりに私が苦しみたいと思った

さも何でもないことのように、音楽を辞めると先輩は言ったけれど
先輩の音色からは、そんなこと微塵も感じられない

どうして辞めなきゃいけないのが先輩なんだろう?

私の大好きな人にそんな想いなんてさせたくない


先輩の代わりになら喜んでなるというのに…



茜色の空に照らされた水面がキラキラと輝いていて、先輩の姿を照らし出す

海風がいたずらに先輩の長い髪を揺らす

風に流れるその髪のようにあなたは掴めそうで掴めない

先輩が何も答えない私をどうしたのかとじっと見つめていた



こうしてあなたの瞳に映ることも数える月日しかないのかと思うと、想いが込み上げて胸が張り裂けそう


「先輩が好きです」


先輩が目を見開いた
と同時に私自身、自分が何を言い出しているのだろうと思った

抑えきれなかった

春に開かれたコンクールで先輩のことを知った
合宿後の屋上で先輩の素顔に触れた
秋のコンサートで先輩の深くへもっと入れた


先輩のことを思うと想いが溢れて仕方ない

困らせているとわかってる


だけど、伝えたかった


私だけが知っている素顔のあなたが好きだということを


伝えたかった

素顔のあなたが私にとってかけがえのない人だということを



「………お前の気持ちには答えてやれない」


長い沈黙の後、先輩が口を開く


「わかってます」


先輩を見つめた


華やかな雰囲気、物腰の柔らかさ…それなのに、どうしてこの人はどこまでも影を纏うんだろう

その影を一緒に背負えたらどんなに幸せなんだろう

二人なら光がないその場所も当たり前になって、やがてそれが“光”になる

それを二人で認識してそう思いこんでしまえば良い


誰かといられない闇は思い込める相手もいなくてどこまでも闇ばかり


あなたは自分を全て殺して

私はあなたへの想いを封印して

独りで闇を背負っていくしかないなんて






刹那、唇を柔らかいもので包まれる


時間が止まったみたいだ


私の唇を解放すると先輩が再び口を開いた


「ごめん…お前の気持ちには答えてやれない」


私の頬を軽く撫でて先輩が私に背を向ける



「香穂子…願いは叶わないから美しいんだよ…」




優雅に流れる髪に寂しそうな背中……私は抱きつきたかった…


さっきみたいに溢れる想いを先輩にぶつけて、このままどこかへ連れ去りたい

私に勇気があれば良いのに…先輩に後悔させないと…私も後悔しないと…


誰かを犠牲にしても自分の想いを貫ける意志の強さ

罪の意識をやり過ごせる合理性


どうして私は弱いんだろう



こうして足掻く(あがく)ことしかできない

こうして願うことしかできない



私の瞳からまた涙がこぼれ落ちる


風がさらって水面に吸われていくような…そんな感じがした

私の想いもこの海のように溜まって潤いを与え、生命を生むようにあなたへ希望を生み出せば良い



穢れた欲望ではなく美しい希望としてあなたの願いを叶えたい


願いは叶っても美しいままで









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<あとがき>
お題を拝見した時に夕陽が沈む海バックにフルートを奏でる柚木さまがバーーーっと
浮かんで、勢いで書いちゃいました。
読みにくい点がありましたら、申し訳ありません。